東京高等裁判所 昭和44年(う)2483号 判決
被告人 浜野吉光
〔抄 録〕
所論は要するに、被告人が前方注視を怠つた過失により、進路上に放置されていた路肩標示柱に気付かず、自車をこれに乗上げ、道路左側の防護柵に激突させた結果、同乗者二名に傷害を与えたとの公訴事実に対し、本件事故は不可抗力によるものとして被告人に無罪を言い渡した原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。
そこで、本件記録を検討し、当審における事実取調べの結果を合わせ考えると、被告人が昭和四三年一月一日午前三時一〇分ころ普通乗用自動車(ダイハツ四二年式、車幅一・四四メートル、車長三・八〇メートル)を運転して、福島県石川郡平田村大字上蓬田字石花地内横森橋付近国道(幅員約七メートルの直線平坦コンクリート舗装道路)を、郡山市方面からいわき市方面に向かい、時速約五、六〇キロメートルで進行し、進路上に放置されていた縦横各二五センチメートル、高さ約二〇センチメートルのコンクリート製土台に直径約九センチメートル、長さ約一・一五メートルのプラスチツク製パイプのついた路肩標示柱(視線誘導標、以下「本件物件」という。)に乗り上げたため、操縦の自由を失い、車体を道路左側防護柵に激突させ、その結果猪瀬利昭ほか一名にそれぞれ重い傷害を負わせたことが認められる。
原判決は、被告人には検察官主張のような前方確認義務違反はない、被告人は本件物件の存在をその一五ないし二〇メートル手前で発見したのであるが、本件物件は進路前方の路面に通常の運転者の注意力では早期に発見しがたい状態で放置されていたのであつて、右地点より手前でこれを発見することが可能であつたとは認めがたく、また発見後直ちに制動をかけたとしても、被告人の運転速度は当時毎時五〇ないし六〇キロメートルであつたから、時速五〇キロメートルとしてその制動距離は少なくとも二五メートルとなるので、本件物件との衝突はさけられなかつたものであり、本件事故は不可抗力によるもので、被告人にはその責任がない、とするのであるが、本件においては、以下に述べるとおり、被告人にとつて本件物件との衝突による事故の発生は客観的にも主観的にも予見可能であり、かつ回避可能であつたと認められるので、本件事故は不可抗力によるもので、被告人には過失責任はないとすることはできない。
自動車運転者は、路上において、夜間であれば前照灯を照射するなどして常に進路前方を十分注視して障碍物の早期発見に努め進路上に正体不明の障碍物を発見したような場合には、その実体を確め、その確認結果によつて直ちに接触や衝突を回避するため適切な措置を講ずることができるように、進路の安全を十分確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務を負うことはいうまでもない。ところで、原審および当審における各検証の結果と司法警察員作成の実況見分調書とを合わせて考えれば、本件物件を最も発見しにくい角度で本件道路に置いた場合、すなわち本件物件の頭部を自動車に向け、自動車の進行方向と平行に置き、前照灯を遠目にしてこれを見た場合、たとえ暗夜であつたにしても、特に前照灯に故障のない限り、三〇メートル手前において、黒ずんだ石灰色で大人の頭大の何かがあるという程度においてはゆうに本件物件を認識することが可能であつたと認められる。そして原審および当審における証人猪瀬利昭の各供述によれば、猪瀬は左隣助手席に同乗し、前方に格別注意を払つていたとも思えないのに、本件物件の一五ないし二〇メートル位手前において何かがあると思い、そのものの大きさは大きな猫位と認識できたというのであるから、前認定にこのことを合わせ考えれば、被告人が本件事故当時、夜間通常一〇〇メートル前方を照射しうる前照灯を遠目にして照射しつつ進行していたことは原審における被告人の供述に徴しても明らかであり、また、前照灯に故障のあつた疑いも存しないのであるから、被告人において、自動車運転者として必要な通常の前方注視を怠らない限り、少くとも本件物件の約三〇メートル手前において何か障碍物がある程度には右物件をゆうに認識し得たものと思われる。
そして、被告人が本件物件を約三〇メートル手前で発見した場合、当時の運転速度は、被告人および同乗者二名の各供述によると毎時約五〇ないし六〇キロメートルであるから、時速約五〇キロメートルとすれば、その制動距離は約二五メートルなので、発見地点で直ちに急制動をかければ、停止することができ、また時速が約六〇キロメートルであつたとしても、右各供述によれば道路の状況も閑散であつたと認められるので、転把することにより容易に本件物件との衝突を回避することができる状況にあつたものと認められる。してみれば、本件道路上における本件事故の発生は、もとより通常一般の自動車運転者にとつてこれを予見して回避することが可能であつたものというべく、被告人についても特にそれが不可能であつたという事情はなかつたものと認められるから、本件事故は不可抗力によるものではなく、被告人の前方を注視し進路の安全を確認すべき業務上の注意義務の履行が不完全であつたことに基因するものといわなくてはならない。
したがつて、本件事故が不可抗力によるものとして被告人に無罪を言い渡した原判決は、事実を誤認したものというほかなく、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
以上の次第で、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所においてつぎのとおり判決する。
(罪となる事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事していた者であるが、昭和四三年一月一日午前三時一〇分ころ、普通乗用自動車(ダイハツ四二年式、車幅一・四四メートル、車長三・八〇メートル)を運転して、福島県石川郡平田村大字上蓬田字石花地内横森橋付近国道(幅員約七メートルの直線平坦なコンクリート舗装道路)を、郡山方面からいわき市方面に向かい、時速約五、六〇キロメートルで進行したが、自動車運転者としては運転中常に前方を注視し、障碍物の早期発見に努め、障碍物があれば直ちにその衝突をさけるため適切な措置をとりうるように、進路の安全を十分に確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り漫然進行した過失により、進路上に放置されていた縦横約二五センチメートル、高さ約二〇センチメートルのコンクリート製土台に直径約九センチメートル、長さ約一・一五メートルのプラスチツク製パイプのついた路肩標示柱(視線誘導標)に気付かず、これに乗り上げたため、操縦の自由を失い、車体を道路左側防護柵に激突させ、その結果自車に同乗中の猪瀬利昭(昭和二三年六月二四日生)に対し加療約二年六か月を要する顔面挫創、左大腿骨骨折、大腿骨骨髄炎、右下肢打撲および挫傷、脳内出血等の傷害を、同小林敏朗(昭和二四年三月八日生)に対し、加療約一か月半を要する顔面挫創、打撲症、胸部打撲の傷害をそれぞれ負わせた。
(中野 山崎 粕谷)